スタッフブログ

2020年03月30日 (月) その他

「一閑張り作り体験と横浜能楽堂見学」を開催しました。

2月21日(金)10:00から、「一閑張り作り体験と横浜能楽堂見学」を開催しました。
一閑張りは古くから日本に伝わる伝統工芸の一つ。今回は米袋を使って、世界で一つだけのオリジナルミニショルダーバッグを作りました。バッグに塗った柿渋が乾くまで、横浜能楽堂の本舞台と楽屋等のバックヤード見学付。当日の様子をお知らせします。

講師は一閑張り利庵 鏡原さんです。はじめに鏡原さんから一閑張りのお話。写真のバッグはカゴに布を張って柿渋で仕上げた作品。お道具入れとして愛用されている実用品です。

 

いよいよスタート、まずは米袋からバッグ本体と取っ手を切っていきます。取っ手の切り方に技あり!でした。米袋を無駄なく使っています。

 

切った本体に取っ手を取り付け、はと目で穴をあけます。

そして、和紙を思い思いのデザインで張っていきます。ここが一番楽しいところですね。

 

張り終わった方から柿渋を塗ります。うすく塗るのがコツだそうです。

 

柿渋を塗ったバッグを乾燥している間に施設見学へ。

 

 

見学から戻るとバッグは程よく乾燥、はと目であけた穴に紐を通して、もやい結びで結んで完成です。

 

第二舞台の前で、はいポーズ!みんな違ってみんないい、世界で一つだけのオリジナルミニショルダーバッグができました。

 

 

鏡原さんとお手伝いいただいた内田さんです。ちなみに鏡原さんはショルダーバッグで犬のお散歩に行かれるそうです。

 

 

ご参加いただいた皆さま、本当にありがとうございました。オリジナルミニショルダーバッグをどうかご愛用ください。

 

和のものづくり体験の講座・ワークショップ等は、今まで能楽にはあまり馴染みが無かったけれど、ものづくりに興味がある、日本文化に興味がある方を対象にした催しで、これをきっかけにしてまた能楽堂に見学や公演鑑賞にお越しいただければとても嬉しいです。来年度も企画いたします。皆さまどうぞお楽しみに~。

 

はぜの木

 

 

 

 

 

 

2019年08月17日 (土) 日常

わからなくてもいいよ!:古典とポストモダン公演観劇ガイド

横浜能楽堂では2019年3月から8月まで、ギリシャからのインターン、フィリポス・モスハトスさんを受け入れています。主催公演開催時はパンフレット配布などのお手伝いをしてくださっていますので、既に皆さんにお会いしているかもしれません。フィリポスさんはアテネ国立大学演劇学部の学生で、近代日本演劇の研究をしています。日本文化に興味を持ち、2014年から国立大学の言語学校で日本語の勉強を始めました。

フィリポスさんが来日以降に日本で観た演劇や、さまざまな文化について感じたこと、考えたことなどをこのブログで紹介してもらいます。なお、文章については本人が書いたものをそのまま掲載しています。今回はその5回目、いよいよ終わりに近づいてきました。どうぞお楽しみください!

 

 

ロメオ カステルーチの“Tragoedia Endogonidia”(私用写真).見ても全然理解できない。

原始的な理解の必要性。

皆さん、こんにちは!聞きたいことがあります:能楽公演、それともあるポストモダンの公演の直後に「全く理解できない」って何回家に帰ってきました?この感覚は思ってより一般的です。なぜなら「あ、公演はつまらなかった」、それとも「言葉なしと俳優の行動に意味はなかった」の公演はしばしば混乱させます。何かを十分楽しむのは、公演も日常生活の催しにも、全部理解する必要があります。人間をより自信と安全性を感じさせ、サバイバル本能は先史時代から現代の趣味や仕事に移動した。先史時代に何かを理解できない時に不安になった。なぜなら多分この「何か」はあなたのことを殺すつもりだった。人間の本能を消すするのは無料です。観劇に何かをわからない時に当惑気味な視線は顔に現れると、友達と同僚を会話する時に「あ、面白かったね!」って良く言ってます。この観念は、ポストモダン公演の場合、演劇監督の文明っぽいと「わざわざすごく意味深い」公演によって応援されています。理解できないようではちょっと違和感に感じさせる。でも安心してください!この違和感の感じを直す方法はあります!

 

国々の古典公演の場合。

前の記事に言われたけど、繰り返します:古典公演は見るより感じるがいいと思います。古代ギリシャ悲劇と喜劇、日本の能と狂言、フランスのモリエールの喜劇、イタリアの16世紀のコメディアデルアルテ、この古典芸能に隠すことは国々の祖先の世界への感謝とユーモアのセンス。悲劇と能の場合は精神的な儀式です、そして喜劇の公演には時代のいたずらです。私たちの先祖は、私たちと同じように、物事を混ぜることが好きだったからです。もちろん何の国の悲劇と喜劇の鑑賞方法は違う。狂言に観劇にいくとき、室町時代時代の「いたずら感じ」を抱けてください。イタリアの喜劇、それともコメディアデルアルテ(芸術喜劇)を見る時に16世紀のイタリアの宮殿、陰謀、誤解、星を越えた恋人たちを想像して感じてみてください。期間について何も知らなければ、それも大丈夫です。ゆっくり座って心を開き、俳優と演劇があなたを連れ去る。私を言及した他の国でも同じです。何も知らない時も、心を開けて、脳の目を閉じて、そして時代の精神を感じてください。現実的の芝居かそれとも現実的な映画のせいで少し難しいけど。。。

 

ポストモダン公演の場合。

ポストモダン公演の公演はちょっと微妙です。近代だから、儀式とかそう言うことがあんまりありません。それは、それらが現在の問題や状況について考えさせるために作られているからです、特別に「パーフォーマンス」というジャンル。「パーフォーマンス」って何であるかを正確に定義するのは難しいけど、私がそれを定義する方法は、「人々に様々な問題を認識させることを意図した出来事」となることです。このパーフォーマンスとポストモダン公演も考えすぎるなら多分わかんない。近代演劇の大学の墓性は2年まえそういった:「多くの場合、何が起こっているのか理解できません。体をリラックスさせ、心を開いてください。それが起こっている瞬間にあなたがあなたの目の前で見るすべてを推論しようとしないでください。ショーを終了し、家に帰り、シャワーを浴び、リラックスして翌朝考えてみてね」。この考え方かたは何の公演にも使うことができますけど、ポストモダン公演と「パーフォーマンス」の場合は絶対に不可欠です。それは調理されたばかりの食べ物を食べるようなものです。 舌が火傷を負い、味を感じることができなくなります。 しかし、少し時間を待ってると、食べ物の味を理解できるようになります。食べ物は美味しいかどうかは人によってと思います。公演と同じことです。食べ物がおいしいかどうかは、シェフ(監督)の素材(俳優)と顧客(観客)の味に依存します。

 

あとがき:心の理解力

強調したいことがただ一つ。じぶんの心得の直感を信じてください。公演の好き嫌いのポイント良く説明することができないので、大丈夫です。これは評論家の役名です、そして評論家も自分自身で公演を理解していません。自分の主な直観を信頼るなら、ゆっくりなにを見ても考えらず楽しむことができます。

2019年08月17日 (土) 日常

海の国:日本の「船弁慶」とギリシャの「アウリスのイピゲネイア」

横浜能楽堂では2019年3月から8月まで、ギリシャからのインターン、フィリポス・モスハトスさんを受け入れています。主催公演開催時はパンフレット配布などのお手伝いをしてくださっていますので、既に皆さんにお会いしているかもしれません。フィリポスさんはアテネ国立大学演劇学部の学生で、近代日本演劇の研究をしています。日本文化に興味を持ち、2014年から国立大学の言語学校で日本語の勉強を始めました。

フィリポスさんが来日以降に日本で観た演劇や、さまざまな文化について感じたこと、考えたことなどをこのブログで紹介してもらいます。今回はその4回目です。なお、文章については本人が書いたものをそのまま掲載しています。どうぞお楽しみください!

 

7月の前半と後半二つの面白い公演を観劇しました。第1は新国立劇場の「オレステイア」。そして、第2は横浜能楽堂の「船弁慶」(観世流。その公演を観劇するあとに、あたまの中に一つな質問が頭に浮かびました:「海って何だろう」。両方の戯曲に海は主要な役割を持つ、実用的と心理的も。海を通って, 登場人物は自分のかっこと未来も立ち向かう、そして彼らはその出会いを通して、以前とは違う形で現れます。記事の後で細かいことを説明しますが、分かりやすくになるように、アウリスのイピゲネイア」の陰謀を与えます。

jacques-Louis David,1819. 「アキレウスの怒り」(公有写真)

戦争の犠牲少女

「アウリスのイピゲネイア」はエウリピデスの最後の喜劇です。406年BC書いた悲劇です。その陰謀はギリシャ人の将軍から、アガメムノン王で始めます。彼は自分の14歳の娘を犠牲するように神託から命令された。そうすれば、強い風が吹くと港に立ち往生している船はアウリス(北ギリシャ)の港から戦争に出航することができます。彼は彼女がアキレスと結婚することを約束することによってそこに来るように彼女に言います結局彼女は真実を知ったが、ギリシャ人が彼らの戦争に勝てるように犠牲にされることに同意する。彼女が犠牲されたの後で、風が吹いているとギリシャ人の船がトロイにいくのは可能になっていました。それは、文明社会がやろうとしていることについての私たちの見解と同様に、政治的および個人的な違いを強調する見事に書かれた秀作です。

海意味

皆様「船弁慶」の陰謀はしていますと仮定するので、だから説明することが必要はないと思います。では、「海」って聞いてる時に何を感じていますか?私の場合は脳に浮かぶ観念は「自由」と「移行」です。海は過去と未来の間の所、そしてここに時には意味もなし。過去と未来繋ぐから、この繋ぐの所は過去も未来ではありません。海渡すように、将来を届くように、人はまず痛ましい過去を立ち向かえなければいけません。お互いは(古代ギリシャ人と源義経(みなもとのよしつね))戦争の犠牲と効果を立ち向かうが必要です。源義経は海の上に平家の幽霊そして流血の過去もも一回見えます。でもその幽霊を戦うの代わりに、弁慶が浄化すると、順序が復元されます。

「アガメムノンの仮面」。アテネ国立考古学博物館に展示します。「前史のモナ・リザ」ってよく言われる。(公有写真)

「アウリスのイピゲネイア」の場合、海が裁判官として機能しています。将軍の各号を試すように、一人娘は弟の妻(ヘレネー)のために犠牲するが必要です。海は女性の犠牲を受け取りますと、許可を渡した。そして、この犠牲のために、ギリシャ人は戦争に勝つことになりますが、アガメムノンを含む彼らの多くはそれの後に苦しみます。でもこの犠牲で古代ギリシャ人は将来へ向かった。

源義経とアガメムノンはこの時間が無いところに(海)に入ると、出たあとにかわりました。一方は彼の過去に立ち向かうことを余儀なくされ、もう一方は彼の未来への許可を与えられました。

ギリシャも日本も海に依存している国です。従って、海は私たちの英雄を形づくるものであるということは理にかなっています、そして、ある程度、私たち自身の問題と希望は海にいくならなんとなく頭が軽くなります。沿海と地中海かいも。

-Φ.

 

 

 

2019年07月26日 (金) その他

「翁」とディオニューソス:東洋と西洋の演劇鑑賞方。

横浜能楽堂では2019年3月から8月まで、ギリシャからのインターン、フィリポス・モスハトスさんを受け入れています。主催公演開催時はパンフレット配布などのお手伝いをしてくださっていますので、既に皆さんにお会いしているかもしれません。フィリポスさんはアテネ国立大学演劇学部の学生で、近代日本演劇の研究をしています。日本文化に興味を持ち、2014年から国立大学の言語学校で日本語の勉強を始めました。

フィリポスさんが来日以降に日本で観た演劇や、さまざまな文化について感じたこと、考えたことなどをこのブログで紹介してもらいます。今回はその3回目です。なお、文章については本人が書いたものをそのまま掲載しています。フィリポスさんの感性をどうぞお楽しみください。

 

白翁面

 

皆様、こんにちは!今度喜劇から少し離れましょうか?今日の話題は西洋と東洋の起源。基本的に「翁」は何だろう?それは土地の幸福と繁栄を祈る一連の舞りです。翁の細部多数から、ここまでの説明はいい。根源的の目的は神々と繋ぐことです。公演の儀式の手続きは非常に長いと、出演者は彼らの体と精神を浄化しなければならない。でもこの翁の公演は時間が経つにつれて、猿楽そして猿楽能になった。この「式三番」を横浜能楽堂の公演を見る時に、「やっぱりこの雰囲気が魅惑的ですね!」と思っていました。俳優さんも観客さんもまことに神様の気配少し感じていたと思いますと能楽は繊細な動きと優雅な謡もちろん翁の継承を染み込ませます。

 

西洋のバッコス(ディオニューソス)の儀式

ディオニューソスの像

 

でも1400年前、600BCギリシャの人々彼らの神もお祝いした。でも翁に対してはこのお祝い方法はちょっと違う。古代ギリシャ人、特にディオニューソス神の信者は、恍惚で神と繋がりました。ワインと激しい踊りで、信者はこの恍惚の状況で神々の精神所を少したいけんすることができた。現在の強い麻薬のような、昔の信者は体を働かせ、酔っ払いになったり肉体的快楽に非常に浸ったりすることによって、神の所を一目できた。この快楽主義的アプローチ時間が経つにつれて、古代ギリシャ悲劇につながった。翁は能楽につながったのような、このバッコス神の恍惚的な儀式はドンドン演劇になった。主な例はエウリピデスの「バッコスの信女」です。良かったら検索してください、この物語はすごく面白いと思います。でも古代ローマにも、この快楽な生活性はギリシャより10倍に増加した。だからキリスト教の支配と確率、異教の信仰悪魔化まで、西洋の世界は神に到達するためにそのような行動を約束しました。でもキリスト教の到着直後には、その到達方は少し変わりましたので、今には悟りへ支配的な方法です。だから古代悲劇とキリスト教の根源的な発想と考えは全然違う。古代悲劇は娯楽だけでなく、宗教や政治にも関係していました。そしてそれが西洋が常にこの二分性を持っていた理由と思います。私たちの原始的な面は、キリスト教がもたらした謙虚さと従順さに置き換えられ、それによって神との到達をとる新しい方法となりました。

 

日本の神と古典芝居

奈良からの写真

 

日本には、神道と仏教は、猿楽能の表られる前に、一見溶けた。能楽の父そのもの、世阿弥 元清は、彼の「風姿花伝」と言う本の中に、能の起源は不明であるって書きました。現在の日本でさえ、神道と仏教は共存しているので外国人であるならば、それらを区別するのは難しいです。この状況は能が生まれたまえはあったから、能楽には仏教と神道の影響、芝居によって、よく現れる。で、この翁から進化した神のお祝いする方が、そして古代日本人は芝居と演劇で神々の崇敬方は同じです。それは「風姿花伝」は、文化と演劇と信仰の本として、まだ関連性がある理由です。なぜなら、それ以来の日本の精神的達成の方法は変わっておらず、他の宗教や異なる精神的達成の方法置き換えられていないからと思っています。そして西洋と東洋は彼らが彼らの霊性を達成する方法においてそれほど大きく異なりますが、終点は地球のすべての人々で同じままです。つまり、私たちのと連絡を造物主をもちょっと理解だけ。

2019年06月04日 (火) 日常

狂言と古代ギリシャ喜劇その②

横浜能楽堂では2019年3月から8月まで、ギリシャからのインターン、フィリポス・モスハトスさんを受け入れています。主催公演開催時はパンフレット配布などのお手伝いをしてくださっていますので、既に皆さんにお会いしているかもしれません。フィリポスさんはアテネ国立大学演劇学部の学生で、近代日本演劇の研究をしています。日本文化に興味を持ち、2014年から国立大学の言語学校で日本語の勉強を始めました。

フィリポスさんが来日以降に日本で観た演劇や、さまざまな文化について感じたこと、考えたことなどをこのブログで紹介してもらいます。今回はその2回目です。なお、文章については本人が書いたものをそのまま掲載しています。とても積極的に日本語でインターンとして活躍してくれていますので、きっと8月頃にはもっと日本語が上手になっていると思います。8月までの連載ですが、どうぞお楽しみに!

 

 

サテュロス民族。ディオニュソス神を崇拝する半ヤギの人間 (Filippo LAURI, Rome 1623-1694
A Bacchanale, with offerings strewn around a statue of the god Pan 公有写真)

 

喜劇の種類

サテュロス の仮面 (公有写真)

 

皆さん、お久しぶりです!前の記事を続けて、今度の記事には古代ギリシャ喜劇と狂言の種類を調べます。狂言については7ぐらいの種類があります(例:太郎冠者狂言、神狂言と大名狂言)て、その種類の差は内容と人物と状況の差です。ギリシャ喜劇には、三つの種類がありますが、その種類の中の差は時代的です。その種類はアッテイキ喜劇(アッテイキ県に基づいて、アテネ市の県. 486-400 BC)間喜劇(400-320 BC)と新喜劇 (320-120 BC)細かいことちょっと複雑が、基本的に時間が経つに連れて喜劇のテーマは薄くなった。例えばアッテイキ喜劇に、内容はもっと政治的でしたが、新喜劇が来る時に内容はもっと個人的になった。簡単にいえば、間喜劇と新喜劇は神狂言と太郎冠者狂言の同じです。でもその種類以外もう一つの種類があった:サテュロス劇

 

サテュロス劇はだいたい間狂言と同じの機能があった。前の記事「大ディオニスイア」と言う祭りに、悲劇の間にこの特別のサテュロス劇は俳優さんを演技した。さらに、内容はすごく面白かったでした。悲劇の既存の伝説では、サテュロスの民族はメインストーリーを侵略し、キャラクターを悩ませます。残念ですけど、このドラマの残りのはただ1本、エウリピデスの「キュクロプス」です。創造すれば面白いと思います:ある神話はうまくいくと、神話のキャラクターサボっていきなりサテュロスの民族現れると皆いじめ始まる。もちろん、古代ギリシャだから、そのサテュロス劇の終わりはちょっとエロでした。それは間狂言のもう一つの差です。でも古代ギリシャも中世日本にもかんがいかた同じでした:複雑の悲劇・能を表するなら、その悲劇・能の間に楽しくておかしい芝居を演技したほうがいいです。どんな大陸もどんな国にも、人間の生活の中で笑いは不可欠で。

 

奇妙な特徴:パラバシス

2017年ギリシャ国立劇場の「平和」。演出家:コヌスタンチノス・アルヴァニタキス。平和の女神は亡くなったと、主人公は取り戻した。カブトムシで。(写真:ギリシャ国立劇場報道官)

 

ギリシャ喜劇には、一番面白くて独特な特徴は「パラバシス」と言う特徴です。ギリシャ語にはパラバシスの定義は「何かを克服する」て、正にその通りです。芝居のある時点で、主人公は立ち止まり、喜劇が触れる政治的またはイデオロギー的問題について直接観客に話します。 その後も芝居続く。そのように、古代ギリシャの喜劇の著者と近代ギリシャの出演者はじぶんのイデアと考えを表することが出来ます。これは、何よりも、一番の狂言と古代喜劇の差と思います。

この「パラバシス」で、なんの世紀も何の先代も、古代ギリシャ喜劇を演技すれば、現代の観客に時代の問題を完全に示すことができます。それが、狂言が室町と江戸時代の過去の雰囲気尊敬して保持している一方で、現代の古代ギリシャの喜劇は常に現在を見据えている理由です。

 

あとがき:どうしてセリフ劇?

 

西洋人として、前から狂言は少し不思議でした。疑問はただ一つ:どうして狂言はセリフ劇ですか?西洋の世界演劇に、古代喜劇からはだいたい音楽と一斉にやる演劇のジャンル。笑いは音楽と踊りを伴いますが、狂言は踊りますが音楽も華やかさも欠けています。私は少し偏っているかもしれないことを理解しています。古代喜劇でやっぱり演劇はいつも結婚式とごちそうで終わります。だってギリシャ語に従って、コメディの語源「コモス」(パーティー)と「オヂ」 (歌)。世界演劇。もちろん、セリフがありますけど、音楽は重要な要素です。すなわち、一所懸命に人生を祝う芸能です。でも、も一回、少し偏っているかもしれません。多分もっと高揚感なタイプの喜劇に慣れてきた。

これから能と狂言もっと理解できるのために、お勉強します!

2019年05月05日 (日) その他

狂言と古代ギリシャ喜劇その➀

横浜能楽堂では2019年3月から8月まで、ギリシャからのインターン、フィリポス・モスハトスさんを受け入れています。主催公演開催時はパンフレット配布などのお手伝いをしてくださっていますので、既に皆さんにお会いしているかもしれません。フィリポスさんはアテネ国立大学演劇学部の学生で、近代日本演劇の研究をしています。日本文化に興味を持ち、2014年から国立大学の言語学校で日本語の勉強を始めました。

フィリポスさんが来日以降に日本で観た演劇や、さまざまな文化について感じたこと、考えたことなどをこのブログで紹介してもらいます。なお、文章については本人が書いたものをそのまま掲載しています。とても積極的に日本語でインターンとして活躍してくれていますので、きっと8月頃にはもっと日本語が上手になっていると思います。8月までの連載ですが、どうぞお楽しみに!

 横浜能楽堂

 

著者です。桜の満開中。

初めまして、こちらは横浜能楽堂の新しいインターン、フィリポスです。よろしくお願いします!日本文化経験するため、3月から㋇まで日本とヨーロパの演劇文化について、小さな記事を書くことをかんがえました。理由は二つ:一つは日本語を向上したかった。そして、二つの理由は、インターンシップ始まったから、色んな能と狂言見学しましたと、「やっぱり古代ギリシャ悲劇と喜劇の類似点が相違点と同じぐらい多いことね」と気が付いた。これらの記事を通して、私の考えを解読することを試みます、そしてそれらを読んでいる人々がその日本の対応関連で古代ギリシャとヨーロパの演劇文化について、もっと学ぶことをこの過程を通して望みます。

 

 

社会的側面

アテネ。現在ディオニューソス劇場、悲劇と喜劇生まれた場所。(公有写真)

比較する前、喜劇と狂言の時代を考慮しなければなりません。500bcのアテネに、喜劇と悲劇は市民の趣味でした。「大ディオニスイア」と言う祭りに、全部の市民(2000人ぐらい)3月の終わりに集まると、朝日7時から夕日まで有名な詩人による演劇を見ることです。市の裕福な商人貧しい人のきっぷと俳優の費用を支払いました。名誉とみなされた。女や子供やそして外国人も見学することができた。なぜなら、演劇は教訓的な目的を念頭に置いていた。

喜劇の俳優はみんな男子(能楽と狂言の同じ)でも普通の市民でした。特別演劇かたはなかった。詩人は先生でしたと。毎年新しい俳優に喜劇とか悲劇の語りと歌い教えた。能楽と狂言比べたら確かに類似点と相違点があります。でも根源的に、ギリシャの喜劇は民族のため演技した。狂言は貴族の芸術。これに従って、狂言の演技方は今までも大体同じです。残念ですけど古代ギリシャの演技方と語り方と謡かた誰にもしらない。これに起因して、現在の演出家は自分のスタイルでその喜劇作ることができる。彼らが衣装と歌と演技も望むことをすることができます。ギリシャでは、全ての公演を通して、それぞれの監督は自分のビジョンと伝統を生み出しますが、日本では方向性の問題ではなく、形式の完成度の問題です。

 

同じ劇場けど、古代時代の形。(公有写真)

 

2018年アリストパネスの「鳥」。演出家:ニコスカラサノス。曇の上の理想的な町に鳥と人間は戦争無しで暮らしている。(写真:in.gr)

 

内容の話:詩人と話題

古代ギリシャ喜劇の一番有名の詩人(実は古代時代残りの詩人)の名前はアリストパネスです。今まで、特に毎夏休み、彼らの戯曲演技されています。5世紀に生まれた、彼らは人生に94の戯曲を書いた、そのうちの11だけが救われている。最近のげき、「アカルナイの人々」425BCで行われで、最後のげき、「福の神」は388BCで行われた。彼の戯曲はギリシャの内戦の最中と終わった後に書かれ、都市国家間の平和を訴えながら、人々(政治家や将軍たちや)状況を飽きさせます。

 

アリストパネス (公有写真)

 

古代時代から残り唯一の喜劇著者、例としてかれを使います。その人たった一人だけ西洋の喜劇の基礎を築きました。ロマンの喜劇、文芸復興の演劇、さえもシェイクスピアの喜劇、そのものの原因はアリストパネスです。皮肉と失礼も、何よりも面白くて丁寧言語で彼らの現実と戦争の根源的な原因と黒幕の不条理が表す。その失敬な言語は狂言と比べたら根源的のさです,でも言語より、舞台衣装。ギリシャのぎげきは三本柱の上に立ち上がります:合体、食べ物、言葉の遊び。

 

古代喜劇の仮面。口は大きく開く、皮肉な表現で(公有写真)

 

主人公は、だいたい普通と簡単な人です、平和だけが欲しいのひと。それは狂言と古代喜劇の根源的の差です。戦争があったけど、女、お酒、食べ物、となりの人の小さい喧嘩、そしてもちろんお祭りのこと、全てなくなりました。ですから喜劇にそんななくなったことは現れると、人が笑うけど、前の時をおぼえます。市民の芸術ですから、政治的とブレイになった。狂言は貴族の芸術、ですから冗談は楽しいけど政治的ではない。

2017年ギリシャ国立劇場の「女の平和」。演出家:ミカイルマルマリノス。公演の間に女たちは裸になりましたと、直接観客に話かけました (写真:ギリシャ国立劇場報道官)

 

 

これは、喜劇と狂言の一般的なイメージです。次は「その②」の記事には喜劇と狂言の部分もっと調べましょう!

-Φ.

 

 

 

 

2019年02月22日 (金) その他

「着付ワークショップ&狂言鑑賞会」を開催しました。

平成31年2月1日(金)、2月7日(木)、2月10日(日)に全3回の着付体験をして、最終回に狂言鑑賞を行いました。参加者は17名、講師はハクビ神奈川校にご協力いただきました。皆さま、お越しいただき本当にありがとうございました。3回の様子をご紹介します。

 

1回目:平成31年2月1日(金)

5つのグループに分かれて1回目がスタート。着物は初めての方、久しぶりの方、レンタル着物一式の方、30年前のお嫁入りの時に作ってもらった着物持参の方など、様々な方がいらっしゃいました。1グループ2~5名程度でしたので、それぞれに合ったペースで進みました。帯結びまで一気に進まずに、襦袢と着物の着付を数回繰り返すことで、皆さま少しづつ上達しているように感じました。最後には着物のたたみ方も教えていただいて1回目が終了。

 

2回目:平成3127()

開始前から既に襦袢に着替え始めている方もいるほど、やる気満々な空気でした。1回目に比べて襦袢と着物の着付がスムーズで、全てのグループが帯結びに入りました。皆さま帯締め・帯揚げまで進んで最終完成形が見えました。名古屋帯のお太鼓、袋帯をお持ちになった方袋帯には二重太鼓にチャレンジするなど、それぞれに先生方が対応してくださいました。

 

3回目:平成31210()

そしていよいよ最終回。襦袢と着物の着付は2回目よりさらにスムーズに進み、襟の抜き方や着丈の長さなど、美しさも前回より進化しているように見えました。一人で後ろで結ぶ帯結びはやはり大変で、汗かきながらの方もいらして・・・。「着付をやっていると運動になるから体操教室に行かなくていいですよ~」と先生がおっしゃっていました。そして、早く着付が終わったグループは着物についてのあれこれを先生に質問する光景も見られました。

 

予定通り午前中の着付を終了してお昼休み休憩へ。皆さま能楽堂内でゆっくりされている方が多かったようです。そして、着物で狂言鑑賞がスタート。

 

鑑賞終了後には、再び集合して本舞台を背景に思い思いに撮影会。3回の着付体験を一緒に過ごしたグループで撮影している方もいらっしゃいました。そして最後は全員でパチリ!

 

お世話になったハクビ神奈川校の着付の先生方です。さすがに立ち姿がスッとされています!

私自身着物が大好きなのですが、身近に着物を着ている人が少なく、あれこれ聞ける人も少ないため、先生方の一挙手一投足に見入ってしまい、あれこれ質問したり、着こなしのコツを盗もうとしていました。 着物、帯、小物などのコーディネートも皆さま素敵で、個人的に毎回楽しませていただきました。

 

アンケートの参加動機の自由コメントに「自宅で眠っている着物を生かしたかった。着物で出かけたいと思っていた。」という記載がありました。箪笥に納まったままの古い着物やしつけのついたままの着物をお持ちいただいた方が数人いらっしゃいました。さぞかし着物も喜んでいるだろうなあ・・・と思いました。また3回目に参加者様から「毎月第二日曜日を狂言鑑賞会の日にすれば着物が着られる。」という声がありました。ぜひ能楽堂を着物のお出かけ先の一つにしてくださいね!

 

参加者の皆さま、先生方、とても楽しい時間を過ごさせていただきありがとうございました。また能楽堂にお越しくださいませ。お着物でぜひ~!

 

はぜの木

 

2019年02月12日 (火) その他

工作&見学「能楽堂で光の不思議を体験しよう~!」を開催しました。

平成31112()に、近隣の神奈川県立青少年センター科学部から講師をお招きして、工作&見学「能楽堂で光の不思議を体験しよう~!」を開催しました。お子さまと保護者さまの参加が大半で、10:30の回28名、14:00の回43名、計81名の皆さまにお越しいただきました。本当にありがとうございました。当日の様子をご紹介します。

 

まず青少年センターの熊切先生からワークシートを使って、「光ってなんだろう?」「ミカンに光を当てたら何色に見えるかな?」「雨上がりの空に虹が見えるのはどうして?」など、光についてのお話をしていただきました。

 

 

そしていよいよ科学工作。まずはトイレットペーパーの芯と「グレーチングシート」という光を分解するプラスチック製の偏光板を使った「レインボースコープ」作りに挑戦。トイレットペーパーの芯は千代紙でくるみました。

 

できあがったレインボースコープで何が見えるか聞いたみたところ、

「星が見える!」「虹が見える!」

などうっとりした表情が印象的でした。

 

次にビー玉と「カッティングミラー」というプラスチックの鏡板を使った「ビー玉万華鏡」作りに挑戦。

ビー玉とカッティングミラーとをビニールテープで固定するところは、ビー玉がコロコロするので親子の協力作業でした。

 

できあがったビー玉万華鏡で何が見えるか聞いたみたところ、

「母さんが36万個!」

なんていうほほえましい答えが返ってきました。

 

科学工作を終えた後には、作品を持って本舞台へ移動。

ビー玉万華鏡で舞台の五色の揚幕を見たり、レインボースコープで鏡板・白洲・天井照明を見て、光による見え方の違いを体験しました。

 

 

終了後のアンケートには多くの皆さまにご協力いただきありがとうございました。

ここでこどもアンケートの感想を少しご紹介します。

 

・ぶたいにまつの木がかかれているいみがわかったことがうれしかった。よこはましのマークがのうがくどうに6かしょあることがふしぎだった。(1年生)

・はじめてのうがくどうのぶたいをみてすごいとおもいました。たのしかったです。ひかりってすごいですね。(1年生)

・ビーダマまんげきょうとレインボースコープはみるとぜんぜんちがうから、それがおもしろかった。(2年生)

・のうぶたいに入ったときにとてもひの木のかおりがしてとても気もちよかったです。(3年生)

・ビー玉まんげきょうのシールのはるところ、ミラーのシールのはがすところがむずかしかったです。みんなで工作ができてたのしかった。(3年生)

・今までに、知らなかった事とか知れてとても勉強になりました。学校で教えてくれないことをここで知れたし、万華鏡とレインボースコープを作れて、とても楽しかったです。(5年生)

 

青少年センター科学部の皆さまには準備から当日運営までご協力いただきありかがとうございました。

参加者の皆さまは光の不思議な体験をお楽しみいただけましたでしょうか?

多くのお子さま方と工作や見学を一緒にすることで、私自身も心があたたまるような幸せな時間を過ごすことができました!ありがとうございました。

皆さま、能楽堂にぜひまた来てくださいね。

 

はぜの木

 

 

 

 

 

2018年06月27日 (水) 公演情報

インターンシップを終えて

今回、私は大学の講義の一環であるインターンシップで6月9日・17日に開催された『花開く伝統-日台の名作と新作-』のお手伝いをさせて頂きました。

その模様を、一部ですが皆様にお伝えしたいと思います!

 

 

【リハーサル】

6月5日からは、日台の共同制作「繍襦夢」のリハーサルが行われました。

初めて見る崑劇でしたが、特徴的な節回しや身振りなど、独特の雰囲気がとても印象的でした。メイクなどの打ち合わせにも同席することができ、公演が作り上げられていく様子を肌で感じることができました。

台湾の国光劇団の方々とは通訳を介したり、英語でお話したりと、日本語・中国語・英語が飛び交う現場で、とても貴重な経験でした。

 

「繍襦夢」リハーサル

「繍襦夢」メイク打ち合わせ

 

【プロモーションビデオ撮影】

6月7日には、9月に行われる台湾公演に向けたプロモーションビデオ撮影に同行させて頂きました。衣装デザイナーの方の事務所にお邪魔し、デザインの意図や普段のお仕事について伺いました。何気なく見ていた衣装のデザインも、そこに込められた考えを知ると全く違って見えてくるように感じました。

 

衣装デザイナー取材

 

【公演本番】

本番では、出演者が舞台に登場する際の揚幕係をお手伝いさせて頂きました。

舞台に出る直前の出演者の様子を間近で拝見し、その緊張感に自分も身が引き締まる思いでした。一流の方々の持つ雰囲気に触れることができ、お手伝いさせて頂けた有り難さを改めて感じました。

 

 

大学ではクラシック音楽を学んでいますが、横浜能楽堂で普段とは異なる分野を知ることができ、自分の分野を深めたり、新しいジャンルに挑戦したり……と今後の勉強への更なる意欲が湧きました。

 

今度は、是非とも観客として能楽堂に伺いたいと思います!

ありがとうございました。

 

〈おくとぱす〉

2018年06月26日 (火) 日常

能楽堂の建築についてのお話です。(柱のお話)

横浜能楽堂建築の素敵ポイントについて、少しずつ皆さまにご紹介していきたいと思い、前回は楽屋をご紹介しました。

今回は舞台の柱のお話です。

 

能舞台は、昔は大名のお屋敷の庭や神社の境内など屋外にあったため、舞台の上に屋根がありました。能舞台と見所が建物の内部に納まる形式の能楽堂になった現代も、屋根は昔の様式を継承して舞台の上にあり続けています。

そのため、屋根を支える柱もあり続けています。

 

ところで、屋外から屋内になった後も屋根が残っている建築は相撲の土俵と能舞台だけ、とても珍しいそうです。

その相撲の土俵には柱が無いのは何故だろう?と疑問がわいたので調べてみました。

日本相撲協会のホームページにある協会のあゆみによりますと、昭和29(1952)9月に「四本柱の撤廃 代わりに吊屋根、四色の房を下げる」とあります。翌年5月からNHKがテレビ中継を始めています。

相撲の土俵は、テレビ中継が始まることで観客の視界を妨げる柱が無くなり吊り屋根になったのですね。

一方、能舞台の4本の柱は現在もあり続けています。

どの柱もとても重要な役割があり、「シテ柱」「ワキ柱」「笛柱」「目付柱」と名前がついています。

能舞台を上から見た図

 

中でも「目付柱」は特に重要な柱です。

https://yokohama-nohgakudou.org/about/seat/

近年、多目的に利用するために柱を取り外し方式にしている能舞台がありますが、将来、相撲の土俵のように、「え~能舞台に柱があったの~?」なんて時代がくるのでしょうか?

 

どの能舞台にもある4本の柱ですが、横浜能楽堂本舞台の柱は少し細目であることをご存知でしょうか。

通常の能舞台は総桧づくりですが、横浜能楽堂の本舞台は総桧ではなく舞台床以外の鏡板・柱など主要なものは樅(もみ)の木です。全体の骨組みが細く設計されていて、柱も細くなっているのが特長です。

細い理由については、樅は桧に比べて堅いため、とか、白い梅が描かれている鏡板にあわせてやさしい印象にするため、とか節はいろいろです。

「目付柱」の太さを実際に測ってみましたところ、約5寸でした。他の能楽堂の柱は測ったことはありませんが6寸程度ではないでしょうか。

 

中正面席からは観客の視界の妨げになる「目付柱」ですが、横浜能楽堂の「目付柱」は少し細いため視界の妨げをちょっとだけ緩和していませんか?

たかが1寸、されど1寸ですね・・・。

 

 

横浜能楽堂にお越しの際には、ちょっと細目の舞台の柱にもご注目くださいませ。

皆さまのお越しをお待ちしております。

  

はぜの木

 

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